小樽港5月29日
質疑応答から
A 30周年記念プロジェクトメンバーで検討した結果「組合員活動の歴史を知りたい」という意志ある人に配布することになった。たくさんの方から注文もあり増刷したので、再度皆さんに呼びかけたい。
Q 福島の子ども以外の甲状腺検査について10年20年続けていく予定はないのか。 A 生活クラブ連合会全体で613名の検査を行い、現在は中間報告を取りまとめている。今後の検査については、連合会と足並みをそろえてやっていきたい。 Q 高齢化社会で家族の人数が減っている世帯も多い。消費材の量を少なくして欲しい。 A 共同購入が始まり30年たって、組合員の平均年齢も上がり、家族数も減っている状況は把握している。しかし昨年の新規組合員の割合で一番多かったのは30代。また少量化した場合、さらに利用量が減ることで、生産者が消費材を作り続けていけるかどうかも考えなければならない。本来なら今年中期3年計画を提案するはずだったが、一年延長し来年、中期5年計画を提示する。策定するにあたって、消費材の規格・容量についても考えていくつもりだ。 Q 葬儀事業について、どういう活動をしていて、今後どのような形にするのか教えて欲しい。 A 現在、組合員による葬儀サポーター3名に、生活クラブが委託し葬儀事業を進めている。過去2年間に11件の葬儀を行い好評を得ている。今年度は学習会をたくさん開催し、それと共に生前相談も広げていきたい。ぜひ関心を持って欲しい。 意見 北広島まちづくり構想について、北広島を拠点に選んでいただき、このチャンスに本当に感謝している。北広島の組合員として責任を感じつつ、ずっと生活クラブ館を有意義に使っていけるよう、一般の市民も巻き込んで盛り上げていきたい。どうか皆さん一緒に応援していただければと思います。よろしくお願いします。 ![]()
福島第一原発事故から2年。いまだ事故の収拾のつかない中、再稼動・海外輸出を目指す経済優先の政策、もんじゅを含めた核燃料サイクルの存続など国の原発推進の姿勢は変わらない。 27年目の4,26チェルノブイリデーは、札幌大通り公園で行われた市民集会に続き、夜の部では詩人としての視点から、さまざまな場面で原発の犯罪性を訴えているアーサー・ビナードさんを迎えて、「三人寄れば『もんじゅ』を止める知恵」と題した講演会が開催された。 ピカドンから教わったこと 高速増殖炉の「もんじゅ」は、文殊菩薩の名前です。僕は「高速冒涜炉」と呼んでいますが、何故もんじゅは存在するのか。本当の事をあぶり出すためには、最初にヒロシマのお話をしなければなりません。 昨年僕は、僕の視点を通して被爆地ヒロシマから今を見つめる「さがしています」という写真絵本を出版しました。この本は、ひとつの言葉との出合いから出発しました。 僕が広島に初めて行ったのは1995年、日本に来て5年ほど経ってからでした。広島平和記念資料館で、被爆体験した女性の話を聴く機会に恵まれました。そこで初めて「ピカドン」という日本語に出合い、母国語のAtomic Bomb(原子爆弾)、Nuclear Weapon(核兵器)を使っていた自分が、実は何も理解していないことを知りました。 言葉は見る角度で決まります。「原子爆弾」は、原爆を作って落とした側の言葉。エノラゲイ爆撃機で上空から見ているという角度です。「核兵器」は、もっと他人事で生活者の視点がどこにもない。しかし、彼女が口にしたのは、核分裂に曝された人が実感を込めて作った言葉。「ピカドン」と言った時、あなたは相生橋に立ち、上空を見上げて熱線と放射線を浴びた体験者の立場にいます。 僕は「ピカドン」に出合ったことで新しい視点をもらい、自分の立つべき位置を知りました。そして「戦争を終結するために原爆は必要だった」と、子どもの時に歴史で教えられてきた定説が、いかに歪曲したものであったかが見えてきました。 元祖「除染」の枕崎台風 被爆はピカドンの瞬間に曝されるだけではありません。今、大飯原発で作られているすさまじい放射性物質、そして、福島原発事故で大量にまかれたものが、黒い雨となって広島の街や海を汚しました。そのヒロシマに、いつから住めるようになったのか。米国ミシガン州にいる親戚に、僕が広島に行った話をした時「えっ、人が住めるの」と聞かれるまで、考えたことがありませんでした。 そこで米国軍の資料を見ようと、1945年8月の残留放射能のデータを探しましたが、無いんです。秋も深まった頃のデータでは、1~2ヵ月で減るわけがないのに数値は高くありません。当時の新聞を見ると、九州の枕崎に巨大台風が上陸して長崎に大雨を降らせ、広島を直撃して街が大洪水になったとありました。台風で放射能の9割以上が川に流れ、川から瀬戸内海に流れて行ったんです。広島が住めるようになったのはそういうこと。海に流してごまかすことが除染の本当の意味。だから、福島でやっている除染も全てそうです。放射能は何をやってもびくともしない。取り除くことは不可能なんです。 マンハッタン計画では残留放射能の調査も重要なポイントでした。原爆を作った人達は、すでに勝負のついている日本との戦争ではなく、20年後、50年後の世界侵略を考えていました。日本はそのための実験場で、毎年台風が来ることも見通していました。残留放射能が人体に大きな影響を及ぼすことがばれると、核開発は行き詰まる。台風後の除染済みデータしか出てこないのはそういうことです 原発はプルトニウム製造機 プルトニウム作りは、イコール原爆作りです。しかしヒロシマに落としたウラン235の原爆では、プルトニウムは核分裂の連鎖反応で飛び散ってしまう。そのために、制御棒のようなもので核分裂のスピードを減速させ、爆発をぎりぎりのところで抑える装置、プルトニウム作り機を開発しました。 1950年代に入り、新しく付け替えた名前が「Nuclear Reactor」。直訳すると「核分裂反応装置」。これを世界中の人に買ってもらうためのカモフラージュとして、湯沸かし機能を付けた。湯が沸き、タービンを回すと電気ができる、電力ができれば皆を騙せるという戦略です。 この装置は「生活の役に立つ夢のエネルギー」というコマーシャルで売り込まれ、日本語で「原子炉」と翻訳されました。しかし、基となる英語はありません。日本が創作した言葉です。 戦後日本の復興は、すべて鉄鋼業がベースにありました。だから溶鉱炉をイメージさせる「炉」(爐)は経済の基盤であり、豊かな生活や家族の団欒のシンボルとして大切な言葉でした。誰も否定することのできない言語的環境の中で「炉」が使われ、みんな騙されたんです。日本語の悪質な詐欺の中で、最も輝いている実例といえます。 もんじゅはガラクタ? 米国政府が国民の富を全部吸い込んで、千回以上の核実験に使ってきたのと同じように、日本政府はもんじゅに巨額のお金をつぎ込んできました。それは、もんじゅが特別な炉で、最高級のプルトニウムを作るためにあるからです。1994年に稼働してから発電した時間は、わずか1時間。事故ばかり起こし、発電機であることを真に受けるとまさにガラクタです。ところが、発電のために造ったのではありません。もんじゅは日本が核大国になるための足場なんです。 僕らが核のペテンとどう向き合うのかと考えた時、やらなければいけないことがはっきりしています。それは今、建設の進んでいる大間原発を絶対止めなければならないということです。大間原発、六ヶ所再処理工場、もんじゅはセット。フルMOXの大間原発を造らなければ、核開発は維持できない。日本の核の詐欺が行き詰ま れば、日本が資金提供している米国の核開発も行き詰ります。 ペテンを見抜くチカラを 僕が核の平和利用というペテンに気がついたのは、1954年3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁で、水爆実験の死の灰を浴びた第五福竜丸事件がきっかけでした。実験を行ったのは、その3ヵ月前、国連で「核の平和利用」の演説をぶったアイゼンハワー大統領です。 そして、乗り組員が死の灰を浴びていたその日、永田町では原爆作りの予算が組まれ、日本国民の富を永久に核につぎ込む仕組みができ上がりました。 いかに、核の平和利用と言われていることがペテンであるか。第五福竜丸のことを知り、歴史を見抜けば、今の再稼働のペテンも見抜くことができるはず。もちろん全部廃炉にしなければなりませんが、脱原発ではなまぬるいんです。原発はカモフラージュに過ぎないし、電力とは関係がない。いかなる場合もやってはいけないのは核分裂。それは全ての生き物に対する犯罪であり、肯定することはできません。 未来への責任と生き方 僕は本質を見抜くことのできる人が、日に日に増えているような気がしています。厳しく長い戦いになると思いますが、それぞれが持っている表現力を生かし訴えていけば、出口はあるt考えます。 福島県の南相馬に、若松丈太郎さんという詩人がいます。彼は、福島原発のメルトダウンを全て見通していたかのように今、フクシマで起きていることを描いた「神隠しされた街」を20年も前に発表しました。 少し悲観的になったとき、僕は若松さんの詩を読み返し、観察と冷静な判断によって本質を見抜いていく人間の可能性と、詩人として何をしなければならないかを教わってきました。 その若松さんが、福島第一原発事故の2ヶ月後に作った「ひとのあかし」という詩を読んで終わりたいと思います。
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エッコロとCO・OP共済があるのに、新たな共済に取り組むのはなぜですか? それは、生活クラブが長い間地域のたすけあいを基盤とした制度づくりを、目指してきたからです。 ちょっと困った時に、近所の組合員同士が、お互い様の気持ちで支えあう仕組みがエッコロです。でもそれだけでは、私たちが地域で安心して暮らすためには充分ではありません。そこで、まず病気やケガをした時の経済面のたすけあい として、CO・OP共済に取り組みました。 そんな中で、生活クラブの神奈川単協は、自分たちのオリジナル共済を作り出しました。17年間取り組み、4回の改定を重ねた実績から、今回全単協に拡大して「生活クラブ共済」として取り組むことにしたのです。 CO・OP共済とはどのように違うのですか? エッコロは「人」のたすけあい、CO・OP共済は「お金」のたすけあいを目的としていますが、生活クラブ共済はその両方を含んでいます。64歳まで、誰でも一律千円で加入でき、女性は70歳、男性は67歳まで保障されます。 また、死亡保障よりも日常生活のたすけあいを重視しているので、退院後や産後にケア給付金が出ます。それに出産祝い金も出るんですよ。赤ちゃんのいる組合員は「みんながお祝いしてくれるようで嬉しい。」と言っています。 ![]() 生活クラブ共済ケアサービスというものもありますね? これは、生活クラブ共済ならではの制度です。退院後や産後は、普段の生活に戻るまでが大変ですが、そんな時たすけあいワーカーズや子育て支援ワーカーズのケアを利用しやすいように、入会金と年会費を共済で負担することを検討しています。 神奈川では、子どもの見守りや家事援助、配食サービスなどに使われています。 本当に生活クラブらしい制度ですね そうですね。今、自分には必要がないかもしれない。でも、どこかで困っている人を、みんなで支えるのが「たすけあい」です。 だから、持病に対する保障はありませんが、持病があっても同じ掛け金で入れます。それは、相互扶助の共済だからこそ。金融商品である保険との大きな違いです。 たすけあいの仕組みがますます充実しますね
はい、私たちが地域で安心して暮らしていくためには、3つの制度を一緒に進めていく必要があります。私たちが作った仕組みですから、消費材と同じように大きく広げ、私たちの声で、より使いやすく変えていきたいですね。 昨年は、国連が定めた国際共同組合年でした。協同組合の価値が国際的に認められ、これから自分たちの仕組みを作る生活クラブの活動は、ますます重要になってきます。みんなで、お互いさまの関係を地域に広げていきましょう。 ![]()
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