福島・栃木の子どもたちの保養
 
       
       
        
 一人でも多くのお子さんの一日でも長い保養をめざして
         

 生活クラブ北海道は、2011年7月から東京電力福島第一原発事故によって被災されたお子さんの保養を行っています。これまで、多くの皆さまにご協力を頂き、延べ297人の子ども達を迎えることができました。(2018年3月現在)(引率大人212人) 

 一人でも多くのお子さんの一日でも長い保養を願い、現在は二つの枠組みで保養を行っています。
 ひとつは、全国の生活クラブ組合員から寄せられた復興支援カンパから一部交通費の補助を受けて、福島、栃木の生活クラブを窓口とした保養です。
 もうひとつは、福島県、栃木県、福島県に隣接する地域にお住まいの保養を必要としている人々を対象に、「311受け入れ協議会」のホームページで家族向けの保養を募集しています。

 放射能で汚染された土地を離れることができず、子どもたちの健康を心配し日々を過ごす皆さんが、一時でも放射能のことを忘れ、自然豊かな北海道で子どもたちを思いっきり遊ばせ、免疫力を高めるお手伝いができたらと考えています。

        

2019年保養計画

☆大型連休(GW)

2家族

☆夏休み

①団体保養(江別JAカレッジ)
*生活クラブふくしまと
生活クラブ栃木で募集
②家族保養/札幌市中央区
*311受け入れ協議会
http://www.311ukeire.net
のホームページで募集

☆冬休み

家族保養(札幌市中央区)

保養活動トピックス

2018年

保養報告

2017年

保養報告

2016年

保養報告

2015年

保養報告

2014年

保養報告

2013年

保養報告

2012年

保養報告

2011年

保養報告

保養活動トピックス

  • 2018年保養報告

    ☆大型連休GW:2家族9名
    ☆夏休み:24家族81名
    ☆冬休み:3家族13名

    8年目の保養では46名の子どもたちに会えました。 夏保養は、前半の猛暑で子どもたちの体調が心配されましたが、大きなハプニングもなく 終了しホッとしています。後半は雨模様が続き残念でしたが、ゆっくり静養できたようです。 宿泊先は、札幌市中央区、江別市大麻と文京台に加え、小樽市銭函の旧かもめ保育園をお 借りしました。旧かもめ保育園は海にも近く、釣りなどして楽しんだようです。  JAカレッジ参加者の皆さんと大通りビアガーデンに行ってきました。子どもたちは芝生で仲良く遊び、大人たちはホロ酔いでとても楽しかった。「また来年も来ようね」と約束。 これまで多くの組合員や市民の協力で保養を実施してきましたが、今年からサポーター制 度を取り入れ、中央支部、江別支部、小樽支部の組合員が積極的に参加し支援の輪を広げる事がきました。

  • 2017年保養報告

    ☆大型連休GW:1家族4名
    ☆夏休み:27家族96名
    ☆冬休み:4家族13名

    7年目の保養では64名の子どもたちに会えました。 夏休みは札幌市中央区と西区、江別市大麻と文京台の複数個所で実施しました。 JAカレッジグループのバスツアーは、旭山動物園、磯遊び(積丹)、サクランボ狩り、海水浴(厚田)など定番の人気企画で充実。大型バスの移動中は、「なぞなぞ大会」で盛り上がりました。 余市のホームステイ参加のお子さんにアレルギーの発作が起きるアクシデントがありましたが、ホストファミリーの迅速な対応のおかげで数日の入院後に保養を継続することができ本当に良かったです。 今年は、市民ネットワーク北海道の協力を得て、江別事務所を二ヶ月間借り保養を行いました。

  • 2016年保養報告

    ☆大型連休GW:1家族4名
    ☆夏休み:20家族64名
    ☆冬休み:4家族17名
    ☆長期休み以外:8家族31名

    6年目の保養では68名の子どもたちに会えました。 夏休みは家族向けのフリー滞在、JAカレッジで2週間滞在やホームステイなどでたくさんの子どもたちがゆっくり保養してくれました。 新たに西区のハイツを2部屋借り上げ、たくさんの家族を受け入れました。この年の海水浴は、生活クラブ風車がある石狩市厚田の海浜プール。 厚田地域振興課や地域の皆さんに大変お世話になりました。 GWにはとても嬉しい再会がありました。2011年7月に緊急避難として来られた子どもさんが、ご家族で保養に来てくれました。 5年前は13歳の男の子がすっかり青年になっていました。私たちのことも憶えていてくれて懐かしく、感無量でした。

  • 2015年保養報告

    ☆夏休み:27家族107名
    ☆冬休み:2家族9名

    5年目の保養では63名の子どもたちに会えました。 夏休みはJAカレッジに7家族22名が滞在する賑やかな保養となりました。 この年から中央区のマンションを通年契約し冬の保養も可能になりました。また、活動に賛同する市民から住宅をお借りし、手稲区星置、東区元町の2か所で15家族が滞在しました。公園に行ったり、お祭りに行ったり、各々のプランでたくさん遊びました。 いつもお留守番のお父さんと一緒に保養できることで、お子さんの安心も深まると感じました。 余市のホームステイは、2名が1週間ずつ滞在しました。

  • 2014年保養報告

    夏休み  18家族66名

    4年目の保養では38名の子どもたちに会えました。 JAカレッジには3家族が滞在しました。バスツアーの目玉は積丹での磯遊び!大人も子どももカニ釣りに夢中でした。昼食に海の幸を頂いた後は生活クラブの生産者・鶴田農園さんにお願いしてサクランボ狩りにも行きました。 また、活動に賛同した市民から借りた一軒家は、中央区宮の森、西区二十四軒、手稲星置と三か所に増え、たくさんの家族が保養に来ました。 この年から、余市で農業を営む組合員の申し出から子どものみのホームステイが実現しました。姉弟2人が2週間滞在しました。 数年続けて保養に来られる方も多く、子どもたちの成長も感じられ懐かしく再会を喜びあいました。

  • 2013年保養報告

    夏休み 13家族55名

    3年目の保養では33名の子どもたちに会えました。 引き続きJAカレッジ宿泊研修施設に6家族が12泊滞在しました。 バスツアーは、滝野すずらん公園や旭山動物園、石狩あそびーちへ行きました。サプライズもありました。宮城県出身の芳賀博信(コンサドーレ札幌アドバイザリースタッフ)のコーディネートで旭山動物園へ行きました。海水浴では、酪農学園大学の学生さん達がボランティアで来てくれ賑やかで楽しい時間でした。 また、活動に賛同する市民から借りた一軒家は、中央区宮の森と手稲区星置で7家族ずつが日程を調整して滞在し、あたり前の日常を過ごすことができました。

  • 2012年保養報告

    ☆夏休み10泊11日 9家族29名

    2年目の保養では20名の子どもたちに会えました。 この年から、江別のJAカレッジ(財団法人北海道農業協同組合学校)様の宿泊研修施設を利用させていただき、5家族が滞在しました。JAカレッジ主催の歓迎会では、JA道中央会の飛田稔章会長から歓迎のあいさつをいただき、子どもたちからは歌のプレゼントがありました。カレッジでの生活は、親切な職員さん、食堂のやさしいお母さん、元気で礼儀正しい学生さん達に大変お世話になりました。 今後も継続してJAと生活クラブの協同組合間連携で協力していただけることになり、安心して保養ができるようになりました。また、南区の組合員提供の一軒家で、4家族が共同で生活しました。 滝野すずらん公園で思いっきり水遊びしたり、小樽ドリームビーチで海水浴したりとたっぷり外遊びしました。また、南区のトモエ幼稚園をお借りして組合員との交流会を開き楽しい時間を過ごすことができました。

  • 2011年保養報告

    ☆夏休み12泊13日  5家族16名

    一時避難という形で11名の福島の子どもたちを迎えました。予定していた宿泊施設の利用ができなくなり、琴似のホテルヤマチと中央区のNTT北海道セミナーセンターを宿泊に利用しました。 準備期間がたったの3カ月しかなかったこと、初めての保養活動のため、計画は二転三転しましたが、たくさんの方に様々なサポートをしていただきました。 保養スケジュールは、ぎりぎりまで計画を変更し続けるミステリーツアーでしたが、滝野すずらん公園や旭山動物園、石狩あそび―ち海水浴で思いっきり外遊びできました。歓迎会やお別れ会にはたくさんの組合員が集まり賑やかでした。「また来てね」涙でいっぱいのお見送りでした。

  • 保養
    活動
    報告

参加者からメッセージ

2017年1月(8泊9日) 栃木県益子町在住
 私の住む栃木県益子町は低線量汚染地域といわれています。高線量汚染に苦しむ人々には申し訳ないくらいの気持ちで来させてもらいました。低線量とはいっても毎日毎日放射線は気になります。「この水は大丈夫?」「この食べ物は大丈夫?」原発事故後、安心して食べられるものを探して生活クラブを始めました。
 私も子どもたちも外遊びが大好きです。土遊びをした後は入念に手洗いをし、砂塵が舞う風の強い日は外出を躊躇します。今回の保養では、やはり放射線を気にすることなく思い切り外で遊べたことがとてもとても嬉しかったです。
 原発事故は、本当にあってはならないものです。人の住めない地域が出る。自然が汚され、何万年も元には戻らないなんて、あってはならないことです。天災は復興できます。人災は復興できないのです。人災によって生まれ故郷を奪われるなんて、人権侵害です。
私の故郷は栃木ではありません。縁があって栃木に住むことになって原発事故後何度も後悔しましたし、何度も、今も、移住できるならしたいと思います。原発事故のことで、後ろ向きになってしまうことが本当に多くなってしまいますが原発事故によって私は変わりました。放射能のことだけではなく、いろいろなことを勉強するようになりましたし、社会全体のことを自分のこととして考えられるようになりました。電気のスイッチ一つとっても、このエネルギーはどこからやってくるのか、沖縄の基地問題も自分のことだったらどうするか、と、心を寄せられるようになりました。そして、ここに今の自分が在ることに感謝しています。汚染地域に住む、様々な理由で住む場所を変えられない人々がたくさん保養に来られますように。私がこれからの未来、社会に向けてできることも考えて行動してきたいと思います。ありがとうございます。


 


2016年12月(7泊8日) 栃木県大田原市在住
 7泊8日、あっという間でしたが、1日1日はとても充実していて、かけがえのない想い出になりました。
 出発前は、子どもが水疱瘡になったり、体調を崩したりと「本当に北海道に行けるのか、ハラハラドキドキでした。お天気も大雪で空港もどうなるか分からず・・と、半分諦める気持ちもありました。出発当日は、栃木も札幌もお天気に恵まれ、子どもたちもすっかり元気になり、本当にほっとしたものです。
 マンションは快適そのもので、栃木の家よりずっと暖かく、子どもたちは「このままこの家に住みたいなぁ~。」と言っていたほどです。 雪の中を毎日ワシワシと歩き、雪が珍しい子どもたちは遊びながら進むので、目的地にいつになったら到着するのやら…が、結局、最終日まで続きました!
 心も身体もリフレッシュ、細胞もすっかり生まれ変わり、免疫力UPすることができました。心から感謝の気持ちでいっぱいです。こんな風に迎えたお正月はもちろん初めてで、私たち大人はもちろんのこと、子どもたちの心にも深く楽しい充実した記憶として刻まれたことと思います。このような機会を与えてくださった皆さん、本当にありがとうございました。お世話になりました。


 


2016年12月(7泊8日) 栃木県宇都宮市在住
 この度はツアーに参加させていただき、ありがとうございました。
 遅れた飛行機、電車で疲れて札幌に入ったのですが、マンションに着くと温かく迎えてくださり、お鍋まで用意してあり、皆さんも雪の中大変だったろうと考えると、とてもありがたかったです。 ジンギスカン、ラーメンなど食べました。帰りは生ものを食べて帰ろうと思います。 足元が雪で悪く、娘が体調を崩したのもあり、色々と足をのばすことができず、近場で遊んだ札幌の旅でした。
 福島や栃木の北部では、まだ放射線量は高く緊張感があるのですが、それ以外の土地では、早く忘れたい、このくらいなら大丈夫、仕方ないなど、様々です。原発への関心の差もかなりあるように感じていますが、そんな中、生活クラブ北海道の皆さんの活動には頭が下がる思いです。本当にありがとうございました。

10万年プロジェクトとは

 私たち生活クラブ組合員は原発に反対してきました。が、50基以上の原発稼働を阻止できなかったという自責の念や後世への申し訳なさから、特に子どもへの放射能の毒をほんの少しでも減らすことができるならと考え、2011年から手探りで、福島原発の事故で放射能汚染された地域のお子さんたちとそのご家族を北海道へ招く保養活動に取り組んできました。  放射能の毒が地上から消える“10万年”は続けなければならない活動。決して諦めないで、数えきれない世代をかけて延々と担っていかなければならない活動。 生活クラブ北海道が2011.3.11以降、毎年手探りで続けてきた保養活動を今後本格的に腰を据えて取り組むという決意を込めて、改めて名づけた“10万年プロジェクト”活動。  また、これは福島の犠牲者のためという思いあがった活動ではありません。人としての当然な行為であり、私たちは決して“福島を忘れない”という福島への連帯表明でもあります。  2017.2

スタッフからのメッセージ


 2011年夏 駆け足ではなく猛ダッシュで決めた保養計画だった。子供が「札幌に行ったら葉っぱ触ってもいいの、土、触ってもいいの。」と言っていたとお母さんが話してくれた。それを聞いた私たちは全員泣いた。人間は、大地と共にあってその中で成長するものなのに。何て言葉を掛ければ良いのか話す言葉が見つからなかった。翌年も「北海道の様な空気も大地も2011年までは福島にもあったのに」と話された言葉が胸に突き刺さる。
 忘れてはいけない。少なくともあの原発の事故の責任の一端は、その危険を知りながら声をだしてNOと言い続け無かった私にもある事を、サイレントマジョリティに与した事を。フクシマは段々メディアから取り上げられなくなってきているが本当の被害はこれからでてくる。忘れてはいけない、フクシマは私のそして私達の問題であると。 (豊平支部 古瀬)2015年


 一年目、すがる思いの一時避難。2年目、不安の続く中での焦りやいらだち。3年目、忘れられない放射能と立ち向かう現状。4年目、保養に来てリフレッシュして、また一年頑張ろうという気持ち…。放射能の心配をぬぐえないことへのあきらめに似た静かな決意を、今は福島の皆さんから感じられる気がします。本当の日常を取り戻し、心をリセットするリフレッシュツアーに、この保養活動を変化させ充実させたいと思います。 (手稲支部 小笠原)2015年


 また、滝野すずらん公園や円山動物園に行ったりしていっぱい遊ぼう。泣いたり笑ったりした後は、おいしいものいっぱい食べてぐーぐー眠ろう。放射能汚染の心配がある地に住む子どもたちが分け隔てなく保養に行けるようになりますように。 (南支部 小池)2015年


 2011年7月31日  琴似の「ホテルヤマチ」で福島のお子、お母さんたちと初めての出会い。
 夕食交流会の席上、放射能に怯え、小さな子どもたちを抱え生活するお母さん達の涙の挨拶。
 ニュースではその苦しみの現実を実感として理解出来ず、その時始めて福島原発事故の恐ろしさを身を持って知った瞬間でも有りました。自分にも子どもがいたら・・・涙が込み上げ、お母さん達の苦しみの深さを思い知らされた重い1日でもありました。
 滝野すずらん丘陵公園で目一杯水とたわむれるお子たち。その姿を見ていると自然に涙が込み上げてきます。試行錯誤を繰り返しながら、少しでも良い環境の中で福島のお子たちとお母さん達に明るい笑顔と、穏やかな安らぎの時間を取り戻してもらえるなら、と。福島にもあの澄んだ青空を返して上げたい!! そんな思いで4年間、みんなに会えて嬉しかったよ! 今年も又会おうネ。(窪田)2015年


 4年前のあの日から、私の夏は、保養で始まり保養で終わる。生活クラブの組合員でいる理由がまた一つ増えた。今年も、来年も、再来年も・・・。みんなで、走り続けよう!(西支部 富塚)2015年


 これからもまだまだ続きます。ずっと、何回でも、長い間お越し下さい! (中央支部 江田)2015


 原発事故のあと、この水は大丈夫?この野菜は?洗濯物は外に干しても大丈夫?給食は食べる?・・・?北海道にいる私でも、色々な葛藤と選択に苦しいことがたくさんありました。保養で来てくれた家族は、もっともっと厳しく苦しい葛藤の中にいるのに、前を向いて必死に頑張っていました。北海道にいる私たちにとっても、決して他人ごとではありません。これからも、みんなで力を合わせて、色んなことを乗り越えていけたらと思います。 (西支部 渡辺)2015年


 草に寝転び、海で泳いで、泥にまみれる。軒先から落ちる雨粒に手をさしのべて、葉っぱの傘をさす。こどもも大人も北海道の大自然に沢山ふれてください。  (江別支部 鈴木)2015年


 このプロジェクト名が決まった会議には残念ながら欠席で、議事録が送られてきたときは、すごいネーミングだなあと思わず感激。
 メンバーの強い気持ち!10万年までも見守り、寄り添っていくぞーっていう意気込みが伝わってきて、少しドキドキしました。
 本来なら国や事故を起こした事業体が責任として、だれもが等しく危険な場所から避難する権利や避難できなければ保養にでる権利などそのための生活の保障をしなければならないのに、非常に残念だけど7度目の夏を迎えてもまだまだ厳しい状況は続いている。「原発事故さえなければ」と誰もが思っている。でも!落としどころのない思いを抱えながらもしっかり前を向いて進んでいくしかないんだよね。
 今年はどんなご家族に出会えるのだろうかといつもわくわくしながらもてなし料理やお出かけの計画を考えたりしています。ハウスの掃除は大変だけど楽しかったねぇぁ~と振り返りで話しています。できればもう少しゆっくり交流も出来たらいいなと思ってますが課題ですね!難しいところもありますが短い期間でもリフレッシュ出来て、地元に戻ってからも北海道の保養が日々の生活の活力になっていただければ嬉しいです。 (手稲支部 作田)2018年


 北海道に来てくれてありがとう。素敵な笑顔に元気をもらえました。すっとずっとずっと、また札幌で会いましょう。 いつでも遊びに来てください。待っています。  (豊平支部 江川)2015年


 福島の子どもたちを保養に呼びたい・・・その思いは、「某企業の施設を保養に使ってはどうか」とのお話から急速に動き出しました。ところが、突然の使用NG。でも、すでに動き出した気持ちをとめることはできず、目まぐるしく計画を変更しながらなんとか当日を迎えました。そんな初めての保養はあっという間に終わってしまい、再び緊張の中へ帰っていく姿を切なさいっぱいで見送ったことが忘れられません。
 いらっしゃる皆さんもお迎えする私たちも、たくさん遊んで、たくさん食べて、たくさん笑って、ぐっすり眠って心と身体を解放する時間をつくりましょうね。まだまだ力不足の私たち。でも、応援してくださる方がたくさんいるから焦らずじっくり進まなきゃ。 (厚別支部 船橋)2015年


 僭越ですが、全ての子どもたちは生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利を持ち、それを保障するのがおとな(国)の役割です。世界中のどれ程の子どもたちが、そのことを正面からとらえ、この権利を行使できているのでしょうか?大それた「権利」などと言う言葉は知らなくても、おとなはその権利を率先して守る役割を担わなくてはならないと思っているものです。
 わたしたちが見てみないふりをしてきた延長線上に福島第1原発事故が起こりました。
東北地方特に福島県では、知らなかったでは済まされない放射能による現実のさまざまな困難が降りかかっています。この事故はもちろん子どもたちが起こしたものではありませんが、とりわけ子どもたちの生活に取り返しのつかない重大な影響を与えてしまいました。4年が経とうとしているのに、この事故の責任者はいったいだれなのかも名乗り出ていません。これでは未来の子どもたちに向けて信頼に足るおとなとしての資格に欠けてしまいます。子どもは、より自然に近い存在であるために、真実を見極める力が備わっていると思っています。ごまかしや言い逃れでつくろってはならないのです。私たちは悔恨の気持ちをこめて、真正面から子どもたちと向き合い関わっていきたいと思っています。その一つの行動が福島の子どもたちを招いて「一人でも多く、一日でも長く」と願ってのリフレッシュ活動です。
 4年間の子どもたちの様子や、交流を通しての現地の報告からも、この間にどれ程の困難が長引き連鎖して広がり深刻になってきているのかを知らされます。一刻も早く真に根本からの問題解決をいそがなくてはならない状況と思います。わたしたちの活動は力不足で、ほんの少数の子どもたちにしか届きません。しかし、継続していくことによって、やがては公共の力で、必要としている全ての子どもたちの暮らしが、保障されることを願っています。
この活動は組合員のみなさんの支援が拠りどころとなっています。どうぞ、ご理解とご協力を心からお願いいたします。 (北支部 切明)2015年


 もし、自分自身が、子どもや家族が、友人知人たちが、放射能汚染地域での生活を強いられたなら、どう対処するかしら。自分自身はともかく、自分や友人知人の子どもたちは何とかして放射能汚染地域から逃したいと思うのはないかしら。もし、私が、その立場になったらなら、子どもだけでも受入れてくれるところがあれば願ってもないこと、まずは子どもたちを送り出すに違いないと思いました。
 偶々私たちは福島原発事故の被害に遭うことがなかったけれど、明日はわが身。それなら、私たちに出来ることをしなければ、つまり、生活の場が、福島原発事故で放射能汚染地域になってしまった子どもさんたちの北海道保養を積極的に受入れなければ、との思いが、“一人でも多くの子どもさんが一日でも長く”の合言葉のもと、夏休みの保養活動になりました。2011年から手探りで始めて4年。この記録集でもお分かりいただけるように、私たちの活動も少しはお役に立てたようで、嬉しく思います。 が、率直に言えば、少々の戸惑いも感じられるようになってきました。保養に参加するご家族の思いと、計画し受入れる側の私たちの思いが必ずしも一致していないように見える場面が見受けられるようになってきたからです。保養に参加する子どもさんとそのご家族側の各々の事情による要望(ほとんどのご家族が長期的ではなく短期的日程を望まれる)と、受け入れ側の私たちの“一人でも多くのお子さんの一日でも長い”保養への強い思いが、上手くかみ合わないような気がしてきて、参加する側より受け入れ側のほうが思いつめているように思えるのはなぜか、と言う戸惑いが生じたのです。が、保養に参加される側の立場に改めて立ち直し、考えて、気づいたのです・・・放射能汚染地域に住み続けなければならない子どもさんやそのご家族には、日々の暮らしのどのシーンも自分たちで考え選択しなければならないことばかりで、放射能ことだけを考えていられないのが実情ではないか。それに対して私たち受け入れ側は、放射能の害だけを考え続けられる余裕があるから、一人でも多くの子どもさんを一日でも長く、放射能の心配の無い北海道に受入れたいという焦りにも似た思いが募るのではないか、と。
 そこで、保養を必要としているお子さんやご家族の要望に沿って、私たちは、保養のお手伝いをするという基本的姿勢に立ち戻ることにしました。今年も来年も、あるいは何年先、何十年先であろうともそれこそ放射能の毒が消える10万年先まで、保養したいと思う人たちがいる限り、その要望に沿った形で受入れようということです。なにしろ、保養活動に、「命とは共存できない放射能との気の遠くなるような闘い」という象徴的意味を込めて「10万年プロジェクト」と、私たちは名づけたのですから。と、同時に、放射能汚染地域からの子どもさんたちの脱出の必要性を、親御さんや教育機関や行政側など子どもたちの成長に関係や責任ある人たちにはもっともっと理解していただきたくて、“一人でも多く、一日でも長く”を体現する保養コースも併せて設定することにしました。 でも、見えず臭わない故に、ともすればその危険性を忘れがちになる放射能との闘いを余儀なくされている子どもさんやご家族に、私たち受け入れ側の自己満足や押し付けにならないようにしなければとも肝に銘じております。 (中央支部 上野)2015年


 担当事務局として3年間保養に携わりました。小さながまんの積み重ねが、どれだけの子どもや家族に負担がかかっているのかを知る3年間であったともいえます。日本人の我慢強さは、ときにはマイナスの効果になってしまっているのでは?
 これからも続く放射能の恐怖に北海道の保養に来た時くらいは、少し我儘なくらいで過ごして欲しいと思います。これからも是非、時間を一日でも多く作って生活クラブの保養に参加して欲しいと思います。 (谷口)2015年


 「自然いっぱいの北海道でたくさん遊んで、たくさん食べて、いろんな体験してくださいね。
森も海も川も、みんなの笑顔を待っています。私たち北海道の保養で家族でゆったり、のんびりリフレッシュしてほしいと願っています。 (南支部 小林) 2018年


 2018年4月から担当して早5ヶ月が経ちました。どういう思いで参加し、保養を必要としているかほんの少しですが理解できました。わずか5カ月ですがいろいろな人と知り合え楽しかったです。
 また、より多くの人に参加してほしいと感じました。みなさんのたくさんの応募をお待ちしています。(栗山)2018年