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幌延町は稚内から南に約60kmのところにあります。酪農が基幹産業の町ですが、加工乳の価格が低いことや、後継者問題が追い討ちをかけ離農が相次いでいます。「核のゴミはいらない! 幌延サマーキャンプ」を始めた 1990年には、約4000人 いた人口も今年は約2600人 になっていました。町の活性化 という理由で国のエネルギー政 策に協力し、原子力関連施設の誘致を進めてきましたが、人の流出は止められなかったのです。 1990年7月、道議会は全会派一致で、高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)の最終処分場を幌延町に作らない決議を しました。しかし2001年、 堀知事と幌延町と核燃料サイク ル開発機構の3者で「幌延町に おける深地層の研究に関する協 定」を結び、放射性物質は持ち 込まないことを条件に、研究施 設の建設を認めてしまいました。 生活クラブでは、10年間をひ と区切りとしていたサマーキャ ンプを2001年まで延長して 監視をしてきました。今、国は やっきになって最終処分場を探 しています。このような状況の中、サマーキャンプを復活させ、 現地で何が起きているか考えよ うと、生活クラブ運動グループ で実行委員会を立ち上げ、準備 を進めてきました。
「こんにちは!札幌の生活ク ラブ生協の組合員です。8年ぶ りに会いに来たんですが覚えて いますか?」「そったらどころで ない。天候不順で一番草が刈取 れないのさ。冬の牛の餌どうし たらいいんだか」 「こっそり言う けどずっと反対しているのさ」。 以前と変わらない会話が返って きます。市街地でも「ピンポン すると、必ず誰かが顔を出して 話を聞いてくれる」 と、初めて 参加した人が嬉しそうに話して くれました。 夜の交流会では幌延問題の現 状を語り合いました。急いで牧 草の刈取り作業を終えて駆けつ けてくれた人たちも多く、とも に連携しながら運動を続けてい くことを確認しました。 サプライズもありました。「幌延問題道民懇談会」 元代表の上田文雄夫妻が、札幌市長とし ての超多忙な公務の合間をぬっ て駆けつけてくれたのです。集 まった皆で改めて「幌延に核の ゴミは持ち込ませない!脱原発 社会!」を誓いました。
PR館の横に税金3億円をか けた6畳くらいの仮建て屋があ り、実物大のガラス固化体を展 示しています。最終処分場とさ れる危険性があり、今後も監視 していかなければならないこと を実感しました。 その後、バス組は浜頓別町の 市民風車「はまかぜちゃん」を 見学。泊原発・プルサーマル計画・ 幌延問題そして市民風車がつな がっていることを学びました。 「百聞は一見にしかず。答えは 現地にある」とはよく言ったも のです。札幌で考えても分から ないことが多いのですが、現地 に行けばなぜこの問題に取り組 んだのか明快に分かってきます。 来年は皆さんも参加しませんか。 ![]()
15年目を迎えた「ヒロシマ平和行動」 は、 今年度から「ヒロシマ・ナガサキ平和行動」 と名称を改め、もう一つの被爆地である長崎 を加えた平和行動として、8月7~9日、中高生4名を含む総勢9名を初めて長崎に送り 出しました。 「加害」と「被害」からの視点に加え、ナガ サキ平和行動には、新たに原爆投下日に山里 小学校(旧山里国民小学校) で行なわれている特別授業の参観や「平和の大使」として高校生1万人署名活動を自主的に行なっている 現地の高校生との交流を取り入れました。 ヒロシマ・ナガサキ・・・私たちは、その日何 が起こったのか、なぜ原爆が落とされなけれ ばならなかったのか、その時代背景にあるも のは何かをしっかりと受け止めたい。直接二 つの被爆地に赴き、自らの五感をフル活動させ「感じること」「知ること」を通し、戦争の 悲惨さを語り継ぎ、核兵器のない平和な世界 を願い「行動すること」 へと更に広めていき たいと思います。 文化委員会担当理事 江川靖子
今回の平和行動で、私が感 動したことは、被爆体験者と して高齢にもかかわらず活 動されている方々や、そのお 話をしっかりと受け止めてい る「高校生平和大使」 の存在 でした。特に、原爆資料館で ガイドをしてくれた被爆体験者の嶺川さんの 「防空壕から やっと出た時の空気のおいし さや、青い空は忘れられない」 「子孫には、自分たちの味わっ た思いはさせたくない」 との 言葉が印象に残りました。私 も今回気持ち良く送り出して くれた4人の娘たちに、そしていつか出会う孫に、このよ うな思いをさせてはいけない と強く思いました。 2日目の岡まさはる記念平和資料館を見学したとき、さ らにその思いは強くなりまし た。日本が戦争の時、アジア 諸国に対してどんなにひどい ことをしてきたのか、私は本 当に同じ日本人として驚きと 悲しみでいっぱいになったのです。 8月9日、64回目の原爆記念日。山里小学校の平和特別授業参観と平和祈念式典に参 列したのですが、被爆された 方々の命日であるということ で、襟を正し心から冥福を祈 りました。私の隣に立ってい た若い女性の一筋の涙を目の あたりにして、その思いが強 まりました。 このように、この3日間の 平和行動は、私にとってとて も深い学びの時間でした。こ れからもいろいろな活動の中 で戦争がどうしていけないの か、日本の加害責任も含めて、 私たち大人がきちんと学び、 子供達に伝えていくことが私 達の責任だと思っています。
船から見た軍艦島は、テレビで見るのとは全く違い、想像以上の小ささと建物の多さには、 驚きを隠すことが出来ませんでした。そして、周囲には海しか ないという孤立さは、私の想像 をはるかに上回っていました。 ときどき寄せる大きな波が、陸地にまで届いているのを見たとき、正直怖かったです。ですが 私はいつか、軍艦島の陸に立って、あの島の空気を吸ってみたいと思いました。 私に一番の影響を与えたのは 「高校生一万人署名活動」 をしている高校生との交流です。高校生が生き生きとした表情で活動しているのを見たとき、私は同年代の学生とは思えませんで した。 そして、被爆者が学生など若い人たちに、辛かった日々の経験を伝えていくことの大切さ と、その気持ちを受け止めて活動している高校生に感激したのと同時に、同じ高校生として少しでも協力したいと思 いました。活動のスロー ガンである「ビリョク だけど、ムリョクじや ない!」には、活動し ている高校生を勇気付 け、支える力があると 思います。 現地の人と触れ合 えたことで、今までは 漠然と耳にしていた 「原爆」という言葉が すごく苦しく、恐ろ しいものなのだと改 めて思いました。そして、北海道と長崎は遠いのですが、「同じ高校生として少しでも 平和への活動ができたらいいな」と思いました。この3日間の経験を忘れずに、これからの毎日を過ごしていきたいと思います。
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親子ひろばは、子どもと子ども、 大人と大人、子どもと大人が出会う場として地域に親しまれることを目指しています。毎年春には新しい顔ぶれが加わり、その親子も 今ではすっかり慣れて、元気いっぱ いの笑顔で遊びに来ます。「最近は お母さんたちの□コミで、来場者が増えてきました。厚別区民センターからの紹介もあり、少しずつ認めて もらっているようで、とてもうれし い」と代表の鶴谷聡美さんは話し ます。 事業内容は、親子ひろばの他に、 生活クラブの運営委員会や講演会・ イベントの託児です。メンバーは月 に3回ほど集まって、運営や活動 を振り返ります。中でも親子ひろばについては、新たな出会いやエピソードがあり、話題が尽きません。 用意したおもちゃに子どもたちが 夢中になり、何度も繰り返し遊ぶ こと。子育ての不安や悩みを持っ たお母さんが、親子ひろばに通う うちに、子どもたちと笑顔で遊べるようになってきたことなど。メンバーにとってほっとたいむは、起業時の思いに立ち返る原点となって います。 現在メソバーは11名。子育て中 のお母さんがほとんどです。鶴谷 さんは「遊びに来てくれる親子を 見守りながら、自分の子育てを振 り返ることもあります。今、子育 てを頑張っているお母さんと一緒に 子どもの成長を喜び、悩みや不安 に寄り添いながら、人と関わりあっ て子育てする良さを伝えていきた い」と話してくれました。 ![]()
地域食堂かえでの前身は、07年 に市と協働で立ち上げた「コミユ ニティレストラン研究会」です。 偶然にも生活クラブ組合員だった 6人が中心となり、そこでの実践 を踏まえ、ワーカーズとして準備 を進め、09年5月に開店しました。 住宅街の中、手作りの看板に迎 えられ、バラのアーチをくぐった 先に、かえではあります。取材を したこの日のメニューは、地元で 穫れたじゃが芋のコロッケ、古川 ポークを使った煮物など、デザー トまでついて7品。600円とは 思えないボリュームでした。 かえでのメソバーは10人。献立 から調理まで責任を持つシェフ5 名が交替で、消費材や地元の農産 物など安心安全にこだわった材料 を使って、得意料理を提供してい ます。特にガス釜で炊き上げた生活クラブ米はおいしいと評判です。 スタッフは、「決して一人でぽつ んと食事をさせることはありません」との言葉どおり、積極的に話 しかけ、楽しい雰囲気をつくって います。お客さんは、「お味噌汁が 飲みたい」と通うお年寄りや家 族連れなど、リピーターも増えています。ここに来るうちに顔見知りも増え、自然と会話は弾みます。かえでが、地域の人と 人の輪をつなぐ場として、少しずつ知られ始めているようです。 「実家に帰ってきた感じだと いわれることもあります。『ど うぞゆっくり、くつろいでいっ てください』と言っています」 と笑顔で話す代表の樫見由美子 さん。今後は料理教室、お祭り など地域の方々と楽しめる事を やっていきたいと、夢は大きく 広がっているようでした。 ![]()
7月29日、「アイヌ民族の食・文化 散歩」と題して、先住民族としてのアイヌ文化、特に食文化を学ぼうと、札幌市南区小金湯にある札幌市アイヌ文化交流センター「ピリカコタ ン」を訪ねました。高校生1名を含む16名が参加し、北海道アイヌ協会札幌支部副支部長の 島崎直美さんを講師にアイヌ料理を学び、歴史の里を見学しました。 本部文化委員 守田恵美子
旬を大切にする アイヌ料理 島崎さんはニューヨークの国連で行なわれていた「女性差別撤廃委員会」 に出席して帰 国したばかり。そして訪ねたこの日は「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の報告書が提出される日とあって 多忙を極めていたはずですが、 明るく大らかに私たちに接し てくれました。 料理はプクサご飯(行者ニ ンニク入りご飯)、トゥレプのてんぷら (オオウバユリのて んぷら)、コンプシト(昆布たれ団子)など8種類。参加者は、島崎さんの指示に従って野菜 を切ったり、お団子を作った り、昆布を油で揚げたりしま した。どの料理も、とても手 間暇がかかっていました。 行者ニンニクは乾燥したものか冷凍したものを使います。 また棒タラは手でほぐし、水で戻します。「シケレペ」 とい う名の柑橘系の香りのする木の実は、乾燥させて保存したものを水で戻して使います。 季節のものを大切にするアイ ヌの人々の生活の知恵がいっ ぱいでした。そして何度も島崎さんが口にしたのが 「添加物などの入っていないもの」 「身体にとって良いもの」とい う言葉です。参加者一同大き くうなずいていました。 私たちは自然に 生かされている
他者の命を戴いて成り 立つのが私たち人間の生であるならば、そのこと の重みを心に刻み日々を 生きていきたい、と改め て思う一日でした。 ![]()
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