幌延問題への取り組み

 生活クラブの反原発運動の取り組みは1985年の「幌延問題」から始まった ともいえます。道北の幌延町に“高レベル放射性廃棄物貯蔵施設”を誘致する計画が問題となり、「食糧生産地北海道と核のゴミは共存できない」「土に還らないものは捨てるべきではない」と反対を表明しました。以来、地元住民と共に粘り強く反対運動に取り組んできました。

 1981年の原発誘致問題から核廃棄物関連施設誘致へと酪農の町幌延の30年わたる反対運動は今も続いています。この間、耳触りの悪い「貯蔵工学センター計画」から「深地層研究計画」へとごまかしながら強行に計画が進められてきました。  長い反対運動の中で、2000年10月に道は「核を持ち込まない」いわゆる核抜き条例(注1)を前提に研究を受け入れてしまいました。そして、道と幌延町と核燃機構(現日本原子力研究開発機構)は、「放射性廃棄物を持ち込まないこと」「研究終了後は地下施設を埋め戻すこと」「中間貯蔵施設を将来とも設置しないこと」などの3者協定を結んでいます。
 現在幌延町には、深地層処分にむけた試験データーの収集と、PRのための深地層研究センター(地下研究施設)、PR施設「ゆめ地創館」、ガラス固化体の多重バリアを実際の規模で展示する実規模施設があり、地下研究のために二つの坑道が掘られ、放射性物質が地下に漏れ出すのを少しでも遅らせるための研究が行われています。
 注1)北海道における特定放射性廃棄物に関する条例

 国は「核のゴミ」を受け入れる自治体を必死に探しています。処分地に立候補すると 文献調査を行いますが、それだけで億単位のお金が交付されます。しかし、現在も最終処分地を受け入れる自治体はどこにもありません。厄介な「核のゴミ」受け入れに賛成する市民はいないでしょう。このままでは研究施設のある幌延が、なし崩し的に処分地にされてしまうことが懸念されます。

 日本では、原発の運転によって生じる使用済み核燃料を再処理した後に残る、核分裂生成物(死の灰)を含んだ廃液を耐熱ガラスと混ぜてステンレスの容器に埋め込んだ「ガラス固化体」を「高レベル放射性廃棄物」と呼んでいます。100万キロ㍗の原発を1年間運転するとガラス固化体にして30本ほどの高レベル放射性廃棄物が出来ます。
 このガラス固化体には1本で数億人にガンを起こさせるだけの放射能が含まれており、長くても30秒そばに立っているだけで命を落とすほど毒性が強いと政府は発表しています。このガラス固化体を30~50年中間貯蔵した後、地下300メートルより深い岩盤の中に埋め捨てるのが日本の方針で、この処理方法を深地層処分といいます。 
 深地層処分は、人の手によって生み出された危険な「核のゴミ」を、人の目の届かないところに長期間(何万年も)棄ててしまうというものです。放射能が漏れ出さない保障はありません。手に負えないものを負の遺産として未来に託そうとする無謀で無責任なものです。

 たくさんの組合員とその家族が幌延サマーキャンプに参加し、地元の人たちと交流を深め、共に反対運動を進めてきました。町内一軒一軒を戸別訪問し、「札幌からきました。核のゴミについて私たちも考えています、お話聞かせてください」こんな言葉をかけながら私たちの思いを伝えてきました。
 核のゴミ問題に揺れる人口2600人の酪農のまち“幌延”の運動の歴史を語り継ぎ、私たちはどうしていくべきなのか共に考えてきました。

脱原発運動の取り組み

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