日本初市民の共同発電所―市民風車「はまかぜ」ちゃん

 これまで粘り強く反・脱原発運動を継続し、抗議行動や直接請求運動を展開するもいずれも叶わず、北電からは都度、「感情的である」「対案を示せ」と突きつけられました。反原発運動は国内でも道内でも停滞し生活クラブも活動に参加する組合員の減少など運動を継続していく事の難しさを痛感させられました。
 90年代から地球温暖化問題が叫ばれるようになり、欧州を中心にCO2削減のための自然エネルギーへの転換など世界が大きく動き出しました。私たちは、従来の抵抗型の運動から生活クラブらしい対案を示す運動はできないかと考えていました。
 そして、1999年にはもう一つのオルタナティブな運動を生みだしました。反対するだけでなく原子力に依存したエネルギー政策の転換を求めて「自分たちが納得できる安全な電気をつくろう」と、月々の電気料金から節約した5%を自然エネルギー普及のための基金とし、「市民の共同発電所」をつくる「グリーン電気料金運動」をスタートしました。 2001年浜頓別に市民風車「はまかぜ」ちゃんが産声を上げ、少しずつ市民の共同発電所は全国に広がっています。
 「はまかぜ」ちゃんの足元には基金に参加し出資した市民1400人の名前が刻まれています。幌延サマーキャンプの帰路ルートに「はまかぜ」ちゃんとの再会は欠かせません。原発は恐ろしくて近づくことも出来ませんが、「こっちの電気はやさしいよ」という「はまかぜ」ちゃんにはすぐ傍まで寄ることも抱きつくこともできます。私たちの反原発運動の象徴です。





脱原発運動の取り組み

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